独り善がりの人生

足りない頭で考えます

さよならするのはつらいけど

 

 

 親しい友人が先日急死したため、無理やり仕事を休んで通夜・告別式に参列してきた。
 彼と知り合ったのは5年ほど前になると思う。都内某所のレーシングシミュレーターのショップに通い始めた頃、話すのもヘタな自分に声をかけてくれて、色々な話(下ネタ含め)をするうちに仲良くなった。また、気になっていたカートのレースにも度々誘ってもらった。当時はまだ車を持っていなかったため、カートのレースに出る際は彼の車に乗せてもらいサーキットまで行くことが多かった。彼は運転も速くてうまく、カートのレースでは常に上位だったし、シミュレーターのタイムも彼のほうが速いことが多かった。というのも彼は昔は峠で走り屋をしていたほどの根っからの車好き・運転好きなので経験・知識が豊富なのだ。どんな時にどのような運転をすると相手はこのような反応をするのでこの時に抜くことができるだとか、それぞれのカートや車の特性を活かした走る方の話をよく聞いていた。あとはくだらないバカな話ばかりしていた。
 彼は運転技術が優れていただけでなく、人を巻き込む力やまとめる力のあるリーダー的な役割を担うことが多い人だった。カートのレースではチームを組んで耐久レースをするが、それぞれのメンバーの適性やカートの当たり外れを考えて戦略を率先して考えていた。(そもそも、レースの申し込み等も彼がやっていた。)また、明るく面白い人なので友人や知り合いも多い人だった。

 私は2018年に車を買ったが、そもそもあの車は彼が見つけ、私に薦めてくれた車だった。

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  当時は数年乗って乗り換えようと思っていたが、かなり気に入ってしまったので乗り続けているし、修理もちょくちょくやっている。足回りの交換に至っては彼やその友人に交換してもらった。

 

 そんなこんなでライフスタイルも変わるほどお世話になった人だったが、サーキットで心臓麻痺を起こして亡くなった。体調不良な様子もなく倒れるまで元気だったらしい。私も4月に一緒にカートのレースに出ていたし、コロナに感染することはあっても急死については全く考えていなかった。
 連絡を受けた時は現実感がなかったが、彼の遺品や今後に関してやり取りをしたり、式場に置かれている故人の名前が書かれた立て看板を見て「本当に亡くなってしまったんだな」と悲しくなった。
 通夜当日は香典と彼がレーシングドライバーから貰ったサインをご家族に渡した。通夜は親族以外に30~40人ほど集まったが、彼のご家族は彼がここまで人から慕われていることを初めて知って、そういった一面を知ることができて嬉しいと語っていた。
 通夜・告別式で彼の顔を見たが、顔色は生前と変わらなかった。通夜に参列した車友達が『「起きろ」と頬をひっぱたけば起きそう』と言っていたが、その通りだと思った。
 辛い気持ちはあり、特に告別式でお悔やみの花を棺に入れた後、棺を霊柩車に乗せて見送るのは本当に辛かった。もっとマメに連絡とればよかった、彼の最近買った遮音性のない旧型のアルトワークスに乗せてもらいたかったという後悔もある。一方でどこかで実感が湧かないような、まだ生きているのではないかと思う自分もいる。通夜の後は集まった車友達でバカな話をしていてそこに彼が乱入してくるのではないかと思ったほどだ。

 以前彼は故人でも本当に終わるのは人から忘れられたとき、ということをFacebookに書き込んでいたが、私も今後彼を忘れることはできないだろうなぁと思う。

 

おわり